8匹いる!「大岳院」のわんこたちがかわいい!
のんきーにとっては懐かしくもある場所です。
ここで、のんきー幼少のみぎりラジオ体操か何かをさせてもらった覚えがあるのです。
「萬祥山 大岳院」さんであります。
曹洞宗のお寺さんなんですね。
1つ目の門です。
観音様でしょうか。
神々しいです。
ありがたいっす。
2つ目の門です。
趣があります。
本堂です。
新しい感じです。
「大岳院」さんの由来が書いてあります。
江戸時代の初め(1605年)に、倉吉城主の中村伊豆守栄忠公が、亡父の一栄公の菩提を弔うために、一栄公のお兄さんの孝山智順禅師を御開山として迎えて開創したものらしいです。
(そういえば、一栄公とご住職の名字が同じですね。)
一栄公の法名が「萬祥寺殿大岳周碵大居士」だったので、「萬祥山 大岳院」という名前になったとか。
ただし、その後1609年に中村氏は改易されたのだそうです((((;゜Д゜)))あらまあ
里見家墓所です。
千葉館山城主であった里見安房守忠義公が、幕臣の権力抗争に巻き込まれ、1614年倉吉に配流となり倉吉城主となります。
その後、1617年の池田光政の鳥取藩入封に伴い倉吉城主の座も失い、池田家預りとなり、移されていた関金の地にて1622年に29歳で逝去。
その際、近臣8名が殉死したのだそうです(・・;)
さらに、大名家としての里見家は、忠義公で断絶となったらしいです((((;゜Д゜)))あらまあ
あー、なんてかわいそうな話でなんでしょう゜゜(ノД`)
(でも、改易が相次いだという江戸時代の初め頃には、よくある話だったのかもしれませんね。)
忠義公の法名の「雲晴院殿心叟賢涼大居士」に用いられている「賢」と「心」という字が、殉死した8名全員の法名にも用いられてたことから、8名は「八賢士」と呼ばれたそうです。
これが、後に滝沢馬琴の大ヒット作「南総里見八犬伝」のモデルになったと言われています。
(「八剣伝」は焼鳥屋さんですよ。)
忠義公、八賢士の皆さん、忠義公の伯父さん、里見家の家老さんが埋葬されているそうです。
さぞ無念だったでしょう、かわいそうだった、冥福を祈りたい、という気持ちになります。
しかし、倉吉市民としては、倉吉が「流罪で送られる辺境の地」であった事をあらためて知ると、複雑な気持ちにもなります。
現代社会においても同様だったりして((((;゜Д゜)))
(「半沢直樹」シリーズなんかで、行員さんが僻地っぽい所の支店に飛ばされたり、子会社に出向させられたりしますが、倉吉には大手の銀行の支店や子会社さえもありませんから!)
いやいや、配流されて落ち込んでいたうえに若くして亡くなった偉い人とその忠臣たちを、優しい倉吉の人々がかわいそうに思ったから、逸話が語り継がれて今に残っているのでしょう。
「現在に至るまで里見忠義公とその忠臣を偲ぶ倉吉市民の優しさを表す心温まるエピソード」と前向きに捉えましょうヽ( ̄▽ ̄)ノ
境内にわんこの像がありました。
かわいいです(*´ω`*)
君は凛々しいなあ。
所々にいますね。
お口が開いてますよ。
みんな子犬だね(*´ー`*)
円らな瞳です。
当然のことながら、和犬です。
でも、この子はシェパード系にもみえます。
しっぽ太いです。
きれいなお庭ですね。
よく手入れされています。
あれれ、君は鼻が取れちゃったのかな?
早く直るといいね!
あー、君も鼻が取れちゃったの?
早く直してもらってね!
全部で8匹!
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌です。
「南総里見八犬伝」には、バラバラになった数珠が、八犬士の重要なアイテムとして出てきます。
その珠には、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が書かれているのです。
(このくだりが、漫画「ドラゴンボール」のモチーフにもなったんじゃないかと言われています。)
第119代の光格天皇の御生母の「大江磐代君(おおえいわしろきみ)」(1744年生まれ)が、「大岳院」さんの檀家さんの御出身であることにちなみ、「大岳院」さんには「大江磐代君」の御尊牌がお祀りされています。
倉吉市仲ノ町の打吹公園には、「大江磐代君」を祀った「大江神社」さんがありますよね。
「大岳院」さんの近所の「湊町公園」には、「大江磐代君」の御生家跡の記念碑がありましたよ。
とても勉強になりました。
わんこたちかわいかったです。
わんこの鼻が早く直るといいですね!
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